火星との交信記録

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ベトナムについて書かれた本まとめ

楽しむのに前提知識がいる事は多い。 

例)大抵の史跡巡り 

特にその国に住むにあたって、歴史という前提知識を仕入れておくと、日々の生活が急に発見に満ちていくのを感じるはずだ。 

 

という訳でこれまで読んたベトナムの歴史関連の本のまとめ、冒頭のチャートは各図書のカバーしている時代区分と、フィクション度をまとめた物になる。 

ベトナムに興味のある人の助けになれば幸い。今後も追加していく予定。 

 

先史から、ざっとベトナムの国の成り立ちを知りたい人は: 

Amazon.co.jp: TRANSIT38号 ベトナム 懐かしくて新しい国へ eBook : ユーフォリアファクトリー: 本

本編の付録という形で、国の成り立ちがイラストとともに紹介されている。さらに詳しく知りたい場合は、下記。ベトナム戦争までの歴史はカバーできる。 

物語ヴェトナムの歴史: 一億人国家のダイナミズム (中公新書 1372) | 小倉 貞男 |本 | 通販 | Amazon

 

フランス統治下ー日本の敗戦まで:

 

愛人 ラマン (河出文庫 509B) | マルグリット デュラス, Duras,Marguerite, 徹, 清水 |本 | 通販 | Amazon

 

フランス統治下のベトナムにおいて、金持ちの華僑に見初められたフランス人少女の私小説。コーチシナに於いて華僑は徴税人として特権的な立場におり、貧乏なフランス人よりよっぽど金持ってたというのが分かる。映画化もされた。物語冒頭の渡し船の描写は圧巻。 

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日本人の東南アジアに対する郷愁はいつの時代も変わらないんだな...と思わさせる。 

前半は日本統治下のベトナムが舞台。

 

戦後、フランスからの解放を目指すベトミンに協力する為に帰国しなかった日本人兵士たちの物語。やがて彼らは現地で家族も持ち、異国に骨をうずめる覚悟をするのだが...歴史に翻弄される個人の悲しみ。 

 

ベトナム戦争中、以降: 

とりあえず、中央新書の「ベトナム戦争」を「物語 ベトナムの歴史」と合わせて読んでくれ...

 

ベトナム報道 1300日」は、国という骨組みが歴史の流れにあっという間に飲み込まれ、消えていく様を、大局観、個人の観察眼を通して語られる。分厚い本だが飽きさせない。 

 

近藤紘一の「サイゴンの一番長い日」「したたかな敗者たち」「サイゴンから...」は読み物としては面白く、ベトナム戦争終戦直後の空気感を楽しむのにはいいのだが、ミクロ視点の語り口が多く、歴史を理解するという点では少し役不足かもしれない。 

 

バオニンの「戦争の悲しみ」は、ノーベル賞候補まで行ったベトナム文学の傑作(厭戦的な内容だった為、当局の圧力もあり受賞できず)、冒頭の雨のジャングルの描写は活字を通じて湿った空気を感じる事が出来る。

バオニンは上記の当局の批判もあり、ながらく表舞台に姿を出していなかった。最近、ホーチミン人文大の学生と対談したという記事を読んだ。

2024.4.16_追記 

 

都内の墓地に、ベトナム最後の王朝、ヴェン朝の王子の墓がある。 

なぜ彼の墓が日本にあるのか?何が彼をここに連れてきたのか?

おちまい 

 

 

 

 

 

 

生まれ故郷の夏を覚えていない

60手前で自殺したオヤジは県職で、その為転勤は県内に限られていた。 

オヤジが俺を生んだのは中国山地のど真ん中、三次市という街で、俺が生まれた年の人口は6万人ちょっと。昭和の一時期は10万人を超える人口だったのだが、それでもまだ俺のガキだった頃は街に活気があった気がする。 

街を離れから20年がたった。その間、千人近い人が毎年街を捨てていった。便の悪い、親戚もいない街に帰る理由はなかった。 

 

父親の3周忌の為に羽田から広島に向かう。 

法事の後、三次に行ってみる事にした。 

新幹線の乗り入れる120万人都市にある広島駅。そのピカピカの駅舎に異質な古ぼけた赤い気動車が止まっている。それが三次行きの電車だった。 

エンジンをぐぅと唸らせてて、車体を震わせながら駅を出る。 

 

徐々に周りの山が近づいてくる、空が狭くなる。山の腹の中に押し入っていくような。そして、少し開けてきたと思ったらそこが中国山地の胃袋の中、三次だった。 

 

かってはここから日本海に抜ける三江線という路線があり、胃から抜け出すことができたのだが。今は廃線となり、まさしくここは中国山地の袋小路という感がある。 

駅を出るとかっての街の面影はなく、背の高い建物は軒並み壊され、やたら見通しのいいがらんどうの街になっていた。 

 

ホテルにあった地図を見ると、ここが中国地方の胃というのはあながち比喩でないことが分かる。 

 

 

昼過ぎに投宿し街を歩いているとみるみる内に吹雪となり、周囲を囲む山々が見えなくなる。記憶の街は、街をすっぽり囲う黒い山々の頭の上を灰色の空が蓋のように被さり、まるでドブの底に暮らしているような憂鬱な風景だ。不思議と夏の風景の記憶はない。 

 

友人も親戚もいないこの街を故郷と呼べるのだろうか?

 

幼稚園の時。遊具を独り占めするのに通園バスより早く着くよう、オヤジに園に連れて行ってもらい雪道でこけた。それを現場を歩いていて思い出した。 

自殺した父は弱い奴だと思っていたが、それは強い弱いではなく、あいつは闘って負けたのだ、と。その晩ホテルで一人、外の吹雪を眺めていている時に気付いた。  

 

行き止まりの街は、これからも俺の消化不良の思い出を残してそこにある。 

俺はそこから反吐のように吐き出され、よろよろと人の群れに入っていった後、忘れ去られる。

 

おちまい 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年】普通のリーマンだけどモンゴルでキャンプツーリングしてきた 

お盆休みを利用してモンゴルでキャンツーしてきた。

ざっくりイメージをこの動画で掴んで貰えれば: 

youtu.be

モンゴルというと何を思い浮かべるだろうか? 

幼少期に家にあった「スーホの白い馬」という絵本、チンギスハン、ゲル、馬乳酒、ノモンハン事件。 

とりあえず、司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズでモンゴルに行く回があったのでそれをキンドルで読む。 

なんと司馬先生、大学ではモンゴル語をやってたらしい。司馬遼太郎がモンゴルに行った当時は、モンゴルに入るにはソ連を経由せざる負えず、司馬自身も作中で「今後直接モンゴルに行ける事はないだろう」とも語っているので隔世の感がある内容ではあるが、モンゴル人の気質や国の成り立ちに一端を知る上では参考になった。 

 

モンゴルは実は、世界で2番目の社会主義国家である。

中国の支配下に置かれていたのを、ソ連の後押しを受けて独立した。

もともとモンゴル独自の文字があったが、それをキリル文字に置き換えた所に両国の密接さが伺える。日本の4倍の面積に、わずか300万人程度の人口しかいない。大草原の広がる素朴な国を想像していたが、意外にもその成り立ちは複雑だった。

 

首都ウランバートルは「赤い英雄」という意味で、大戦後抑留された日本人がその都市建設に駆り出され、835人が祖国の地を踏むことなくウランバートル郊外の日本人墓地に埋葬された。今は遺骨は日本へ戻っているが、跡地に記念碑がある。  

記念碑は、冬の厳しさ(冬は零下50度にもなる)のせいか、施工技術の未熟さのせいか、壁がはがれ少々英霊を祭るにしては少し質素な感じがした。 

 

2023年8月9日、旅は成田空港から始まった。

前月28日に3年半を過ごしたベトナムから都内に引っ越し、慌てて生活インフラを整えて、8月1日には大阪に移動。そこから8日夜まで研修を受け、帰京後すぐに荷造りをし、仮眠を取って成田空港に向かう。満身創痍であった。 

インチョンでモンゴル航空と大韓航空とのコードシェア便に乗り換える。

この先、モンゴル航空を利用する事はないかもしれない、スチュワーデスの制服が社会主義感があってよかった。

 

食器の袋にモンゴル航空のロゴ入り 

日本の支援を受けて作られたチンギスハーン国際空港で、今回バイクを貸して下さるFORTECのオーナーさんにピックアップしてもらう。 

モンゴル唯一の高速道路、ウランバートルと空港を結ぶ、を走り、慢性的な市内の渋滞を抜け宿に着いたら即就寝した。

FORTECについて; 

日本人メカニックの味戸さんという方が運営されている、ゲストハウス兼ガレージ。ヤマハの正規工場でもある。

ウランバートルでバイクのレンタル、宿泊先を検討されている方はおススメ。食事、風呂、ベッド日本レベル。近場に雑貨店もあり、市内へもバス1本で出れる。  

アルコールストーブに使う燃料を薬局で求めるも見つからず。燃料の販売は厳しく、携行缶への給油も日本以上に厳格に禁止されているそう。 

 

120L のスーツケースで持ち込んだ装備 

借りたバイクはヤマハのセロー、これまでヤマハのバイクは所有した事がなかったが、ヌタヌタの泥道が延々続く林道、遮るものがない大草原、100㎞以上で車が走る高速等、あらゆる場面で平均点を叩き出すいいバイクだった。 

道路事象について言うと、ベトナムと同じ右側通行だったので、そこは違和感がなかった。車のマナーだが、ウランバートルを出るまでは少し難儀だが、郊外に出てしまえば変に煽られる事もない。幹線道路に関していて言えば舗装の状態もよく(ウランバートル以東に限って言えば)、危険を感じる事はなかった。 

ガソリンは100円/L、なお同時期に日本で200円/Lになりニュースになっていた。 

東は山がち、西は大草原、南はゴビ砂漠に代表される砂漠の風景と、目指す方角で印象が異なる

3泊全てキャンプであった。

1泊目は山の山頂、2泊目は湿地帯、3日目は川辺。 

2泊目の湿地帯が強烈だった。 

夕方になると蚊の大群に襲われる、露出した手に寄ってくるので手を叩くとまとめて4匹叩き潰していた。たまらず日暮れまでテントで待つ。夜は夜で気温が10度近く下がり10度ほどになり、夏用シュラフにくるまってウトウトして過ごす。 

大陸の蚊はすごい、ガタイも日本の1.5倍位あるし、全く人怖じせずガンガン襲ってくる。

湿地帯の朝 

 

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特に目印のない大草原を走る事になる。事前に地図データーを登山アプリに読み込ませていたが、橋があるとされた所に馬の腹までつかるような川があり、大回りする事になるなど小トラブルはあった。 

方角さえわかれば道があろうがなかろうが、山があろうがガンガン一直線に目的地を目指せるこの感覚は日本では味わえない爽快感がある。 

腹を擦った車が落としたナンバープレートをよく見かける、川底のような道で、シフトリンクのボトルが振動で抜けた事もあった。その辺のモンゴル人に工具借りて直した、一切工具は持ち歩いていなかった。 

 

意外に携帯が山の中でも通じる、満載のバイクでこけて足挟んだら抜け出せない事もありうるので、諸君にはSIM契約を強くお勧めする。 

ハンドルの上に載せているのがナンバープレート 

プリウスがめちゃくちゃ多い。

日本との条約で、生産から3年以内の中古車は無税、そこにハイブリット車の国内税の優遇措置、厳寒下でもエンジンがかかる信頼性もありみんなプリウスを選ぶ。もちろん幹線道路以外は未舗装なので、リフトアップさせて、これで川も渡ってしまう。 

周り全部プリウスなんて事もある 

韓国勢のコンビニが強い、これはベトナムでもそうだったが、ことモンゴルに関しては完全に市場を押さえられ日本勢の進出は難しそうだ。これは地理的な近さ(インチョンから3時間)が大きいのだろう。おそらく韓国経由で入ったいるのであろう、ベトナム産のビールや、食品をよく目にした。 

都市部から、サービスエリア機能を持たした郊外店まで、CUとGS25という韓国勢コンビニが市場を握っている

意外だったのが、モンゴルとベトナムの結びつきで、モンゴル人は車の板金の事を「ベトナム」と呼ぶほどベトナム人が板金業者で働いている。なんでもモンゴル人より器用で綺麗に直すらしい。 

キリル語で「ベトナム」とある板金業者 

人口の少なさを象徴する物に、政府から国民に700平米の土地が無償で渡されるという物がある。この土地は売っても構わないそうなのだが、都市部ではしっかり柵で囲っておかないと、他人に占有権を主張される事もあるそうだ。 

ウランバートル中心から車で20分位のとこ 

ウランバートル郊外は、そのように自分の土地を柵で囲い、その中でゲルで生活する人がおり、彼らはもちろん上下水道はないので、ポリタンクで水を運んでいる人を見かけた。冬にはこれらのゲルからの石炭の排煙で大気汚染が起こるそうだ。

こういったインフラのない地域の若者が、自らをゲットーの黒人になぞらえて、ラッパーとして活動しているらしい。

一昔前までは、下水で生活するマンホールキッズもいたというし、スーホの白い馬のイメージでは捉えれない国なのだ。

豊富な地下資源、地政学的重要性(中国とロシアをつないでいる)、平均年齢の低さなど、国としての未知数を感じさせるモンゴル。 

なかなかきっかけを見つけるのが大変だと思うけど、日本から直行だとベトナムと同じ位だし、調べてみると興味が湧いてくるかもしれないよ。 

 

おちまい 

 

 

 

 

 

 

ベトナム人文大 ホーチミンでベトナム語試験を受験しました(4回目)

土曜の朝。朝起きたら6時半であった。6時15分に掛けていたアラームが鳴らなかったのは、アラームが平日のみの設定になっていたからのようだ。 

 

試験表には7時集合と書いてあったので、朝飯は途中でバインミーを買って、急いで大学に向かう。 
なんせ、7時に集合し、11時までぶっ通しで読解、リスニング、筆記の試験を行う。何も食わなかったら体力が持たない、中々体力を要求される試験なのだ。 
あと、クーラーが結構きついので上着必須。 

 

案の定、リスニング終わったあたりでふらついてきたので、カバンに仕込ませてあったプロテインを一気飲み。前回から試験代金が300万ドンに上がったこの試験、値上がり前と比べると;

1.手荷物が預け制になった 
2.鉛筆、ボールペン、消しゴムが支給。全てマーク式になった(ボールペンは名前書く時と、筆記の時に使う)久しぶりにペンで文章書いて、指が攣りそうになった。
3.受験者数が減った気がする、20パーくらい。試験代の影響かな? 

 

尚、今回は人文大のベトナム語講座を所定の時間数受講していた為、割引が効き1.8mil VNĐで受験できた。 

筆記が終わった後の口述試験は12時から16時まで、個別試験なので自分の番まで待つ必要あり。 
アルファベット順に呼ばれるので、運が悪いとだいぶ待つ。救済策として、14時を境に前半後半に分かれているので飯を食いに外に出ることは可能。 
韓国人の受験者が多く、彼らの名前はJとかK始まりが多いため、必然的にいつもビリの方で受験している。 
リスニングで大ごけ。リスニングが弱いのは重々自覚していたので引き続き頑張りまぁす。なんか最近聞き取れるようになってきたと思ったんだけどなぁ。 

 

口述待ちの時間にざっと張り出された受験者名簿見てたんだけど、54名中日本人は1名だけ。 
日本人ベトナム語学ばなすぎ。韓国人はみんな片道切符できているので熱量が違うし、推し並べて韓国人はベトナム語上手い。徐々に韓国人のプレゼンスが日本を追い越しているのを肌感覚で感じるもんなぁ。 

昼飯挟んで口述試験、前回と同じ試験官でベトナム語上手くなったじゃん、何で日本帰るのに試験受けるの?みたいな試験話もしつつ終了。

 

口述の質問は:
「どこに住んでるの?」みたいな定型分みたいな質問から始まって、段階的に難しい質問(単語解答から、文章による解答へと進んでいき、ここで客観的な点数付けをしているんだろうなと思った)
「仕事上お酒を飲まないといけない仕事についてて、医者から飲酒を止められた場合、仕事を変えるか続けるか?」
「メディアの果たす役割について」

 

結果は一週間後、その頃には日本の転職先で働き始めている。
という事でしばらく人文大の越語試験は受けれない、3年のベトナム生活の総まとめ的な試験でした。 
引き続きベトナム語の勉強は続きます。 

 

おちまい

 

 

 

コロナ特別便の収賄事件の裁判が盛り上がってきた 

日本でもコロナ給付金の不正受給で大勢が起訴されたが、ベトナムではコロナ期間中の特別帰国便(200万人が利用)の搭乗許可の便宜を、賄賂の見返りに図ったとして主要な54人の公務員が起訴、中でも一番多くの賄賂を受けたとった保健省次官は死刑の求刑をされている。 

 

法廷ではある被告が突然、冤罪をカメラの前で訴え、上記の保険省次官は供述中に嗚咽、法廷は54人の被告をまとめて入れたためか、満員御礼。 

https://tuoitre.vn/muc-an-vien-kiem-sat-de-nghi-voi-54-bi-cao-vu-chuyen-bay-giai-cuu-20230717140717061.htm

Tuoi Tre紙は54人のリストを求刑内容と元の職位と共に公開。

求刑の重い上位層は顔写真付き。

 

ぶっちぎりTOPの保険省次官のKien被告は、2位のTuan被告の270億ドン(1.5億円)に大きく差をつけ、420億ドン(2.4億円)の賄賂を253回に分けて受領。 

元大阪領事は18億ドンを受け取り、5年の求刑。 

 

上記のKien被告は事が明るみに出そうになると、その内120億ドンを返金し、「借金を返した体を装え」等と指示。

裁判でも「お礼だと思ってた」「賄賂を要求した事はない」「数が多すぎてちょっと…覚えてないっす!」などと供述(他の被告も同じように供述しているらしい)、「悔い改めてます!」と声を震わせながら減刑を求めた。

 

判事は保険省単体の権限では帰国特別便の許可は出せず、Kien被告の量刑は不当と、検察に求刑内容の見直しを指示。

んー、これはほとぼりが冷めた頃に恩赦されるパターン??

 

求刑通りの刑が下るのか?2023年に不正疑惑で退陣に追い込まれたフック首相(本来の任期は2026年)、その残党狩りとしてこの裁判が利用されているのか? 

目が離せませんよ! 

 

おちまい 

 

 

 

 

 

ベトナム3面記事】賞味期限切れの食品の印字を書き換え再販していた業者捕まる 

どのメーカーの物を買うかよりも、誰から買うかが重要視される国、ベトナム。 

1流メーカーのラベルが付いていても、偽物かもしれないので、どの店から買うが重要視される。典型的な事件がこちら、過去にはコンドームをリサイクルして売って捕まったおばちゃんとかいたな…

食品はコンビニや、ある程度商流のしっかりしてそうな大手スーパーで買いましょう。 

現場には1流メーカーの食品が、コカ・コーラもあるよ。 https://youtu.be/K8mVvGTSLFs

 

こんなんちまちま売っても利益出ないだろうから、卸の裏ルートがありそう https://youtu.be/K8mVvGTSLFs

食品はもとより、化粧品など直接体に触れるものの偽物も多い。 

定期的にこの手のニュースが流れるのがベトナム。 

 

おちまい 

ベトナムの不動産に投資する?何でもありのこの世界で? 

勢いで680戸の住宅地が、デベロッパーが当局の許可が出る前にエイヤで開発し、途中でお咎めをくらい未完のまま放置されてしまった案件。

一部はすでに販売されており、住人がいる。 

上物ができていても、信用はできない。

f:id:kimonomusume189:20230715193316j:image

https://youtu.be/IeFQlbHYEqc

 

低所得者用の団地の駐車場に車が停まってるのなぁぜ?低所得者から名義を借りたお金持ちが投資用に物件を買い漁ってるからでした。

投機により、実際の住宅需要が見えなくなっている。 

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https://thanhnien.vn/ngan-chan-truc-loi-nha-o-xa-hoi-185230709211818722.htm

 

デベロッパーから買ったマンション、実はデベロッパーが抵当に入れたままでした。

デベロッパーとの契約を結んでも、所有権を示す書類が発行されないまま。

すでに60件以上の開発案件で同じ事態が発生。 

 

f:id:kimonomusume189:20230715194541j:image

https://thanhnien.vn/so-hong-60-du-an-bi-chu-dau-tu-the-chap-ngan-hang-185230708141212738.htm

 

上物があっても、業者と契約書を交わしても、何も信用できないベトナム不動産。 

お上の一声で開発が止まることもしばしば、ホーチミンの一等地には、コロナ後

未だに建設が止まったビルが無惨な姿を晒している。 

 

それでも、ベトナム不動産投資やりますか??やる?あ、そう…