火星との交信記録

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2023年】普通のリーマンだけどモンゴルでキャンプツーリングしてきた 

お盆休みを利用してモンゴルでキャンツーしてきた。

ざっくりイメージをこの動画で掴んで貰えれば: 

youtu.be

モンゴルというと何を思い浮かべるだろうか? 

幼少期に家にあった「スーホの白い馬」という絵本、チンギスハン、ゲル、馬乳酒、ノモンハン事件。 

とりあえず、司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズでモンゴルに行く回があったのでそれをキンドルで読む。 

なんと司馬先生、大学ではモンゴル語をやってたらしい。司馬遼太郎がモンゴルに行った当時は、モンゴルに入るにはソ連を経由せざる負えず、司馬自身も作中で「今後直接モンゴルに行ける事はないだろう」とも語っているので隔世の感がある内容ではあるが、モンゴル人の気質や国の成り立ちに一端を知る上では参考になった。 

 

モンゴルは実は、世界で2番目の社会主義国家である。

中国の支配下に置かれていたのを、ソ連の後押しを受けて独立した。

もともとモンゴル独自の文字があったが、それをキリル文字に置き換えた所に両国の密接さが伺える。日本の4倍の面積に、わずか300万人程度の人口しかいない。大草原の広がる素朴な国を想像していたが、意外にもその成り立ちは複雑だった。

 

首都ウランバートルは「赤い英雄」という意味で、大戦後抑留された日本人がその都市建設に駆り出され、835人が祖国の地を踏むことなくウランバートル郊外の日本人墓地に埋葬された。今は遺骨は日本へ戻っているが、跡地に記念碑がある。  

記念碑は、冬の厳しさ(冬は零下50度にもなる)のせいか、施工技術の未熟さのせいか、壁がはがれ少々英霊を祭るにしては少し質素な感じがした。 

 

2023年8月9日、旅は成田空港から始まった。

前月28日に3年半を過ごしたベトナムから都内に引っ越し、慌てて生活インフラを整えて、8月1日には大阪に移動。そこから8日夜まで研修を受け、帰京後すぐに荷造りをし、仮眠を取って成田空港に向かう。満身創痍であった。 

インチョンでモンゴル航空と大韓航空とのコードシェア便に乗り換える。

この先、モンゴル航空を利用する事はないかもしれない、スチュワーデスの制服が社会主義感があってよかった。

 

食器の袋にモンゴル航空のロゴ入り 

日本の支援を受けて作られたチンギスハーン国際空港で、今回バイクを貸して下さるFORTECのオーナーさんにピックアップしてもらう。 

モンゴル唯一の高速道路、ウランバートルと空港を結ぶ、を走り、慢性的な市内の渋滞を抜け宿に着いたら即就寝した。

FORTECについて; 

日本人メカニックの味戸さんという方が運営されている、ゲストハウス兼ガレージ。ヤマハの正規工場でもある。

ウランバートルでバイクのレンタル、宿泊先を検討されている方はおススメ。食事、風呂、ベッド日本レベル。近場に雑貨店もあり、市内へもバス1本で出れる。  

アルコールストーブに使う燃料を薬局で求めるも見つからず。燃料の販売は厳しく、携行缶への給油も日本以上に厳格に禁止されているそう。 

 

120L のスーツケースで持ち込んだ装備 

借りたバイクはヤマハのセロー、これまでヤマハのバイクは所有した事がなかったが、ヌタヌタの泥道が延々続く林道、遮るものがない大草原、100㎞以上で車が走る高速等、あらゆる場面で平均点を叩き出すいいバイクだった。 

道路事象について言うと、ベトナムと同じ右側通行だったので、そこは違和感がなかった。車のマナーだが、ウランバートルを出るまでは少し難儀だが、郊外に出てしまえば変に煽られる事もない。幹線道路に関していて言えば舗装の状態もよく(ウランバートル以東に限って言えば)、危険を感じる事はなかった。 

ガソリンは100円/L、なお同時期に日本で200円/Lになりニュースになっていた。 

東は山がち、西は大草原、南はゴビ砂漠に代表される砂漠の風景と、目指す方角で印象が異なる

3泊全てキャンプであった。

1泊目は山の山頂、2泊目は湿地帯、3日目は川辺。 

2泊目の湿地帯が強烈だった。 

夕方になると蚊の大群に襲われる、露出した手に寄ってくるので手を叩くとまとめて4匹叩き潰していた。たまらず日暮れまでテントで待つ。夜は夜で気温が10度近く下がり10度ほどになり、夏用シュラフにくるまってウトウトして過ごす。 

大陸の蚊はすごい、ガタイも日本の1.5倍位あるし、全く人怖じせずガンガン襲ってくる。

湿地帯の朝 

 

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特に目印のない大草原を走る事になる。事前に地図データーを登山アプリに読み込ませていたが、橋があるとされた所に馬の腹までつかるような川があり、大回りする事になるなど小トラブルはあった。 

方角さえわかれば道があろうがなかろうが、山があろうがガンガン一直線に目的地を目指せるこの感覚は日本では味わえない爽快感がある。 

腹を擦った車が落としたナンバープレートをよく見かける、川底のような道で、シフトリンクのボトルが振動で抜けた事もあった。その辺のモンゴル人に工具借りて直した、一切工具は持ち歩いていなかった。 

 

意外に携帯が山の中でも通じる、満載のバイクでこけて足挟んだら抜け出せない事もありうるので、諸君にはSIM契約を強くお勧めする。 

ハンドルの上に載せているのがナンバープレート 

プリウスがめちゃくちゃ多い。

日本との条約で、生産から3年以内の中古車は無税、そこにハイブリット車の国内税の優遇措置、厳寒下でもエンジンがかかる信頼性もありみんなプリウスを選ぶ。もちろん幹線道路以外は未舗装なので、リフトアップさせて、これで川も渡ってしまう。 

周り全部プリウスなんて事もある 

韓国勢のコンビニが強い、これはベトナムでもそうだったが、ことモンゴルに関しては完全に市場を押さえられ日本勢の進出は難しそうだ。これは地理的な近さ(インチョンから3時間)が大きいのだろう。おそらく韓国経由で入ったいるのであろう、ベトナム産のビールや、食品をよく目にした。 

都市部から、サービスエリア機能を持たした郊外店まで、CUとGS25という韓国勢コンビニが市場を握っている

意外だったのが、モンゴルとベトナムの結びつきで、モンゴル人は車の板金の事を「ベトナム」と呼ぶほどベトナム人が板金業者で働いている。なんでもモンゴル人より器用で綺麗に直すらしい。 

キリル語で「ベトナム」とある板金業者 

人口の少なさを象徴する物に、政府から国民に700平米の土地が無償で渡されるという物がある。この土地は売っても構わないそうなのだが、都市部ではしっかり柵で囲っておかないと、他人に占有権を主張される事もあるそうだ。 

ウランバートル中心から車で20分位のとこ 

ウランバートル郊外は、そのように自分の土地を柵で囲い、その中でゲルで生活する人がおり、彼らはもちろん上下水道はないので、ポリタンクで水を運んでいる人を見かけた。冬にはこれらのゲルからの石炭の排煙で大気汚染が起こるそうだ。

こういったインフラのない地域の若者が、自らをゲットーの黒人になぞらえて、ラッパーとして活動しているらしい。

一昔前までは、下水で生活するマンホールキッズもいたというし、スーホの白い馬のイメージでは捉えれない国なのだ。

豊富な地下資源、地政学的重要性(中国とロシアをつないでいる)、平均年齢の低さなど、国としての未知数を感じさせるモンゴル。 

なかなかきっかけを見つけるのが大変だと思うけど、日本から直行だとベトナムと同じ位だし、調べてみると興味が湧いてくるかもしれないよ。 

 

おちまい