先月、公安施設が襲撃されたダックラック省(最終的な逮捕者は75人)。
襲撃に手製の空気銃などが使われていたのを問題視したのか、公安に銃を提出すれば罪には問わない、おまけにお米もあげるよ(ニッコリ)というキャンペーンを実施。
肝心の襲撃事件は、今だ全貌は見えず。
事件後、ホーチミン市内は、公安のみならず、青年団、人民防衛隊が要所に配置され圧を掛けてる。異なる制服の治安維持部隊が、ぼんやり往来を眺めてる様は最高に共産感があって好きだ。
おちまい
Bao Thanh Nien (日本語だと「新聞_青年」?ベトナムの大手メディア)のユーチューブチャンネルを見ていて、ホーチミンの一等地にある未完の建設プロジェクトを紹介する動画を見つけた。
様々な理由から未完のまま放置された建築案件、中でも筆頭は旧Saigon one towerだ!
2007年に着工、2011年に資金難で工事が中断。その後、サイゴンの超一等地にその廃墟の様な姿をさらしていた。周りに高層ビルが無い事もあり、その雄姿は空港周辺からも望む事ができる。負のランドマークタワーなのだ。
去年、不動産投資グループのMasteriseから別の投資グループViva landが買い上げた事により事態が急変。あっという間に古い外装が剥がされ、夜になると虹色に輝く新しい外装が取り付けられた。それに伴い名称も、Saigon one tower から IFC one Saigonに変更!!
口の悪いサイゴン市民からは「お化け屋敷」と呼ばれていたこの廃墟ビルもついに完成かと、思っていたのだが、外装を変えてから一切進捗がない。
ビル周辺に行ってみると作業員の姿もなく、工事のやってる感じがない、無音である。
察するに、案件に進捗がないと国から土地を没収される(土地は国からの借り物なので、当初の申請用途に合っていないと没収される)のを防ぐために、新しい投資グループが外装を変えて、お役所側に対外的なやる気を見せただけな気がする。
口の悪いサイゴン市民からは既に「đắp mền」(毛布を掛ける、つまり外装変えただけ)と言われている、このビル。新しい投資グループが今後どのように国とやりあうのか、目が離せない!
2023.7.3追記
đắp mềnとはベトナム語で、進捗のないほったらかしのプロジェクトや計画によく使われる言葉らしい。毛布を掛けるという意味はないとの事。
おちまい
ホーチミンの空の玄関口、タンソニャット空港からタクシーに乗ろうとすると、国内線乗り場まで移動して捕まえる事になると思います。まぁここのぼったくりケースが多い。
ベトナムの2大タクシー会社、マイリン、もしくはビナサンのどちらかを捕まえれればいいのですが、混む時間帯だと全く捕まらない事があります。
グラブは空港内に入ってこれないので、少しばかり歩いて空港外に出てグラブを捕まえています。
以前ハノイから帰ってきた際に携帯の電池がなくなってしまい、グラブが呼べない事がありました。タクシー乗り場でやっと捕まえられたのは聞いたこともない会社のタクシー。
案の定、空港を出たあたりでメーターではなく、相場の2倍の金額を吹っかけて来たので口論の末に降りた事があります。まぁ空港の入場料1万ドンを損させてやったからいいか…雨で全く車が捕まらず歩いて帰ったんですけどね。
そんな悪徳タクシーを、ベトナム当局の方々が(なぜかテレビ局のカメラの前で)成敗してくれる胸スカ案件がありました。皆さんも一緒に見てみましょう!!
スイッチを押すと、メーターが通常の10倍のスピードで上がる細工がされている車を摘発!3kmで40万ドンを叩き出す台も!
気になる罰則は!
運転手:免許一時没収+50万ドン(3千円位)
運航会社:1100万ドン(6万6千円位)
うーんんん軽微!再犯しちゃう!!
おちまい
2023年6月11日。中部高原、ダクラク省、バンメトート市近郊の人民委員会の庁舎に入っている公安施設が2か所で同時に襲撃され8人(内1人は民間人の運転手)が死亡、施設は破壊され書類などが焼かれた模様。
日本では扱いの小さかったこの事件、なぜ、誰が起こした事件なのかさっぱり日本語ソースだけでは分からないと思うのでこの記事を書いている。
強烈な情報統制、何を伝えたくないのか
まず、事件の動機の公式見解が事件から3日後の現在でも出ていない。
事件の2日目に、フェイクニュースを流した男性が逮捕。
少数民族とのつながりを示唆しているのは海外メディアのみ。
誰が何のためにというところが抜けており、現地メディアは殺された公安遺族を訪問する官僚の姿しか報道しない為、「冷徹なテロリストが、罪なき人を虐殺した」という図式が出来上がっている。
この事件の本質を理解するためには、ベトナムの歴史、つまりは、南進してきた中華系民族(今のベトナムの9割を占める主要民族)に住処を追われた東南アジア系民族。そしてベトナム戦争さなか、冷戦の駒として利用され捨てられた、彼ら東南アジア系民族の歴史を知る必要があり、それは日本の平安時代から近代までの一大歴史物語であり、それをこの項で長々と説明したくないので、詳しく知りたい人は下記の名著を読まれたし。
歴史の端に立ち今我々が見通すことのできる範囲で話をすると、ベトナム戦争後、北ベトナムから国策で800万の国民の大移動が起きた。それらの一部は、中部高原に流れ込み、元々住んでいた少数民族との土地の奪い合いを引き起こした。
彼ら少数民族はベトナム戦争中、アメリカの支援を受け反共ゲリラとしての訓練、武器を得ており、そこで得たノウハウを元に軍事組織FULROを戦争中に結成、戦後は共産党政府とのゲリラ戦を引き起こす。この戦いは戦後18年に渡って続いた。
中部高原の外国人向けの観光地化の遅れはこのような背景があり、このエリアは1993年までは外国人が入る事の出来ない、「不都合な真実」エリアだったのだ。
2000年代に入っても、暴動、当局の所数民族に対する弾圧は続き、今でも外国人が入れないエリアというのが存在する。(俺はそこに入った事がある、カンボジア国境と壁のような山に挟まれ、下界とは隔絶され、世界の何処ともつながっていない、不思議な世界だった(即、平服の公安に捕まった))
以上を踏まえて、もう一度この事件を見てみよう。
謎の集団は、これは少数民族とみて間違いないようだ。Tiktokに上がった動画などを見ると、押収された銃に”DEGA”(モンタニヤード(森の人)の意、中部高原の先住民の呼称)の刻印があったり、捕まった人の顔立ちがどう見てもキン族でなかったり、そもそもあの地域であれだけ多くの動員を掛けれる組織というのは、FULROの流れを継ぐものと考えていいと思う(現時点で45人の逮捕者)。
押収された武器を見ると、手製の空気銃に毛が生えた程度の武器である。機関銃装備の当局に勝てる装備ではない。当地の行政が出した開発許可により、土地を取り上げられる少数民族の反発が原因でないかと言われている。土地を取り上げられる彼らの、悲観的な捨て身の短期戦であった事がうかがわれる。
”当局との衝突の様子”
しかしこれを、「土地収用に反対する所数民族による物」とアナウンスしてしまうと、国内に不安要素を抱えている事を公にする事になり、国内外へのメンツが立たない。つまり、上の(報道の)指導内容が決まるまでは、はっきりとした報道が出来ないのである。
どのように今回の事件の動機をアナウンスするのか、この数日間ニュースから目が離せないのである。
歴史教育の大切さ、非暴力の正しさ
今のベトナムの世論を外国人という第三者目線で見ると、元々少数民族がいた土地に入ってきたキン族という歴史背景がすっぽ抜けている為に、単なる冷酷無比なテロリストとして襲撃した集団を見なす意見が多い。これによりキン族に無用な憎悪が生まれ、ますます両民族の相互理解への道が遠のくであろうことは容易に想像できる。
また、襲撃集団側も殺人を犯した故に、たとえ正当な動機であったとしても非常にまずい立場に自分を追い込んでいる。
例え、自分に都合の悪い歴史でも後世に語り継ぐ意義、武力闘争は民衆を動かせない等、歴史の必然をこの目で見る事の出来た数日だった。この一週間、ニュース追ってて眠い。
おちまい
出張前の前乗りでバンコクに泊ったのでホテルのレビューを。
普段はナナのあたりに泊っているのだが、ヤワラーの川沿いのホテルに泊まりてぇなと思い、見つけた。
一泊、3千円しない位?
近所にはコンビニや、屋台メシがあり、中華街も歩いて10分位。
屋上にルーフトップバー&レストランもあるので出歩くのがめんどくさくても完結できる。
清掃は行き届いているけど、築年数が高いのは感じる。
何より、部屋からの眺めが素晴らしい。チャオプラヤ川を眺めながら、コンビニで買ってきたパンとコーヒーで朝食をとりながら川の流れのその先を眺めていると、飽きない。ずっと眺めていられる。
今回(5月)のタイはめちゃくちゃ暑い、サイゴンより暑い。ファンヒーターの様な熱風。
タイの人は、ベトナムの人の必死さがない。
より南国的な人に近い気がする。これは、ほんのひと昔前まで世界最貧国やっていたベトナムには、まだまだハングリー感が残っているからなのか、と思ったり。
おちまい
何故ならバンコクはさいこうにイケてる街だからだ。
君がLGBTでも、肌の色が何色でも、ここでは浮かない。
互いに干渉しない、誰かに与えられて渋々受け入れるダイバーシティーじゃない。俺とお前は違う、でもいいですよね、お互いに干渉しなければ、的なノリでこの街は回ってる。
ピシッとしたスーツでバイタクに乗る白人ビジネスマン、鼻の下伸ばした日本人、常に家族で行動するインド人観光客、アラブ人、華僑、マレー、いいじゃないのいいじゃないの。
大麻くせー、歩いてたらどこからともなくガンジャの香り、大麻を解禁した、これが東南アジアの中でどれだけタイが異質な存在かを物語っている。
そして、水かけ祭り、俺たちは(今回は2人旅)この祭りを見に来た。
赤の他人が水をかけあう、バイクに乗ってすれちがいざまにバンバン、道渡ってる最中にバンバン、国全体が阿保になれる数日間、サイコーじゃん。
街が静かだ、サイゴンはどこ行ってもプープープー、喧騒の街。バンコクの朝は鳥の声がうるさいくらい。
街の中心のルンピニ公園は、池でオオトカゲが水遊び。ベンチで売店で買ったアイスを食べながら、散歩中の人々を数えよう。肌の色が違う、でも違和感がない。水鉄砲を乱射するロシア人の子供、違和感がない。
バンコクを見て死ね
おちまい