2023年6月11日。中部高原、ダクラク省、バンメトート市近郊の人民委員会の庁舎に入っている公安施設が2か所で同時に襲撃され8人(内1人は民間人の運転手)が死亡、施設は破壊され書類などが焼かれた模様。
日本では扱いの小さかったこの事件、なぜ、誰が起こした事件なのかさっぱり日本語ソースだけでは分からないと思うのでこの記事を書いている。
強烈な情報統制、何を伝えたくないのか
まず、事件の動機の公式見解が事件から3日後の現在でも出ていない。
事件の2日目に、フェイクニュースを流した男性が逮捕。
少数民族とのつながりを示唆しているのは海外メディアのみ。
誰が何のためにというところが抜けており、現地メディアは殺された公安遺族を訪問する官僚の姿しか報道しない為、「冷徹なテロリストが、罪なき人を虐殺した」という図式が出来上がっている。
この事件の本質を理解するためには、ベトナムの歴史、つまりは、南進してきた中華系民族(今のベトナムの9割を占める主要民族)に住処を追われた東南アジア系民族。そしてベトナム戦争さなか、冷戦の駒として利用され捨てられた、彼ら東南アジア系民族の歴史を知る必要があり、それは日本の平安時代から近代までの一大歴史物語であり、それをこの項で長々と説明したくないので、詳しく知りたい人は下記の名著を読まれたし。
歴史の端に立ち今我々が見通すことのできる範囲で話をすると、ベトナム戦争後、北ベトナムから国策で800万の国民の大移動が起きた。それらの一部は、中部高原に流れ込み、元々住んでいた少数民族との土地の奪い合いを引き起こした。
彼ら少数民族はベトナム戦争中、アメリカの支援を受け反共ゲリラとしての訓練、武器を得ており、そこで得たノウハウを元に軍事組織FULROを戦争中に結成、戦後は共産党政府とのゲリラ戦を引き起こす。この戦いは戦後18年に渡って続いた。
中部高原の外国人向けの観光地化の遅れはこのような背景があり、このエリアは1993年までは外国人が入る事の出来ない、「不都合な真実」エリアだったのだ。
2000年代に入っても、暴動、当局の所数民族に対する弾圧は続き、今でも外国人が入れないエリアというのが存在する。(俺はそこに入った事がある、カンボジア国境と壁のような山に挟まれ、下界とは隔絶され、世界の何処ともつながっていない、不思議な世界だった(即、平服の公安に捕まった))
以上を踏まえて、もう一度この事件を見てみよう。
謎の集団は、これは少数民族とみて間違いないようだ。Tiktokに上がった動画などを見ると、押収された銃に”DEGA”(モンタニヤード(森の人)の意、中部高原の先住民の呼称)の刻印があったり、捕まった人の顔立ちがどう見てもキン族でなかったり、そもそもあの地域であれだけ多くの動員を掛けれる組織というのは、FULROの流れを継ぐものと考えていいと思う(現時点で45人の逮捕者)。
押収された武器を見ると、手製の空気銃に毛が生えた程度の武器である。機関銃装備の当局に勝てる装備ではない。当地の行政が出した開発許可により、土地を取り上げられる少数民族の反発が原因でないかと言われている。土地を取り上げられる彼らの、悲観的な捨て身の短期戦であった事がうかがわれる。
”当局との衝突の様子”
しかしこれを、「土地収用に反対する所数民族による物」とアナウンスしてしまうと、国内に不安要素を抱えている事を公にする事になり、国内外へのメンツが立たない。つまり、上の(報道の)指導内容が決まるまでは、はっきりとした報道が出来ないのである。
どのように今回の事件の動機をアナウンスするのか、この数日間ニュースから目が離せないのである。
歴史教育の大切さ、非暴力の正しさ
今のベトナムの世論を外国人という第三者目線で見ると、元々少数民族がいた土地に入ってきたキン族という歴史背景がすっぽ抜けている為に、単なる冷酷無比なテロリストとして襲撃した集団を見なす意見が多い。これによりキン族に無用な憎悪が生まれ、ますます両民族の相互理解への道が遠のくであろうことは容易に想像できる。
また、襲撃集団側も殺人を犯した故に、たとえ正当な動機であったとしても非常にまずい立場に自分を追い込んでいる。
例え、自分に都合の悪い歴史でも後世に語り継ぐ意義、武力闘争は民衆を動かせない等、歴史の必然をこの目で見る事の出来た数日だった。この一週間、ニュース追ってて眠い。
おちまい