前職の同僚が、転職先に入社するまでの間、長い盆休みをとってベトナムに遊びに来たので週末ごとに一緒に旅行に行く生活を3週間続けた。楽しかったまる。
普段は宿に金を掛けないのだが、二人旅という事もあって、4つ星レベルに2週目は泊まった。あまりに気に入りすぎて同じチェーンのホテルに泊まるためにカントーに行った。この愛してやまないビクトリアホテルについて書いていきます。
1週目にダナン周辺のミーソン聖域を訪れた我々は、チャンパ王国の末裔チャム族に自然に興味が向いていった。ベトナム中部に住むチャム族。彼らはチャンパ王国で主流であったヒンズー教徒なのだが、メコンデルタにもチャム族はおり、メコンデルタのチャム族はイスラム教徒なのだ。
北から南下してきたキン族(今のベトナム人)。それに押される形でチャム族が南下したのであれば、当然今のホーチミンのあたりにもチャム族はいるはず。
しかし実際は、ニャチャンとメコンデルタの間は空白になっており、また両者の宗教は異なる。
メコンデルタのチャム族はどこから来たのか。
ネットのどの文献を読んでもはっきりとした情報はなく、我々はメコンデルタ、カンボジア国境の街、チャウドックに真実を求めて向かったのだった。
朝4時チャウドック、ホーチミンから夜行バスで6時間。
初めての街に早朝に放り出された我々はうろついていると、観光船の客引きに声を掛けられた。その船が遠回りして時間を潰して金をふんだくろうとする悪徳船だったため、キレて全然知らない波止場に着けさせてまたトボトボと歩いていたのだった。
すると、ビクトリアチャウドックという、しけた国境の街には似つかわしくないまともなホテルが現れ、朝の4時から不愉快な気分を味あわされた我々は、むしゃくしゃした気持ちを晴らすべく勢いロビーになだれ込みそのままチェックインしちゃったのだ。
しかし、まぁなんと優雅なホテルかね。
床はニスがしみ込んだ厚い床板が敷かれ、川に向けて開け放された窓から風が入ってくる。小説「ラ・マン」に出てきそうな、植民地時代のホテルを思わせるシックな調度品で揃えられ、ホテルが一つのテイストでまとまっている。
プールに2度入り、ビュッフェを3度お替りし、サウナに4回出たり入ったりした俺は気づいた。「楽しい…」いままで寝るだけだった存在のホテルが、ちょっと金を払えばホテル内で完結するエンタメで溢れている、「これがちょっといいホテル…」。
無理難題を笑顔でこなすスタッフ、映画の中にいるような世界観が統一された調度品、いいぞビクトリアホテル…。
【ビクトリアホテルとは】
1997年、ベトナム中部のファンティエットから始まったホテルチェーン。他のチェーンが目を付けない、メジャーでない観光地を中心に展開、調度品はコロニアル(フランス統治下)風でまとめられている。地域との繋がりを重視しており、チャウドックのホテルではチャム族が特産の機織りをしていた、カントーではヤシの葉を折って作る民芸品を作っていた。ツインで2百万ドン程度。
もちろん、我々はチャウドックの街に住むチャム族の人たちにルーツを聞きまくり、最終的にホテルのスタッフに聞いて結論を出した。むしろ、最初からホテルで聞いても良かった気がした。
遠い昔、チャンパにいたイスラム系チャム族は、カンボジアに逃れ、そのうちの一部がベトナム国境のチャウドックに進出し、住み着いた。なんの裏付けもないが、これが一番理に適っている結論に思えた。
そして3週目、我々はビクトリアカントーに向け旅立ったのだった。
車止めに立つと、吹き抜けのロビーの向こう側にプールが見える。メコンの植物は生命力が爆発した目に刺さるような緑色をしているのだが、その緑とプールのコントラストが美しい。プールのタイルをよくよく見ると、釉薬の垂れで一枚一枚表情の違うのが分かる。
ロビーは、これも見事だ。深い軒の中にあって、外がどれほど暑くともファンの風だけで涼しい。
夕方、プールサイドで「ラマン」を読む。
虫の音、宿泊客の水を蹴る音、側を流れるメコン川を走る船のモーターの音。
視線を上げると、揺れるプールの水面に夕陽が落ち、淡い夕空に溶け込んでいく。
明日の朝は、ホテルの船着場に水上市場に連れて行ってくれる舟が迎えに来る。
そして我々は家に帰るだろう、「また来たいね」と、言いながら。
そこが目的地になる。ビクトリアホテル、おススメです。
おちまい