火星との交信記録

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22年4月、3回目のタムキーのビーチ 

中部の夜は4月でも寒く、海に映る街灯の灯りが物寂しかった。

常夏のサイゴンは喧騒の街で、人に人生について思いを巡らせるスキを与えないのだけれど。

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貝を取るために、夜の海に入っていく前の漁師たち

思い返すと1年に1回は行っているタムキーのビーチ。

早朝のビーチを歩く、この3年間にコロナと台風で定宿はますますぼろくなり、3年前には生まれていなかった宿の主の子供は棒を振り回して犬を追いかけるわんぱく少女になっていた。 

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ここで聞こえるのは波の音だけ。

海はチャンパ人、フランス人、日本人、アメリカ人とこの地を一時治めた人が見た時とそのままの姿で今日も浜に波を送っている、おそらく僕がサイゴンに戻ってからも、僕が死んでからも、僕に関わりのあった人がこの世からいなくなっても波は送られ続ける。

人の生を超えた大きな流れに我々は一時身をゆだねているに過ぎないことを、ここの波を眺めていると素直に感じれる。 

そして、やはりサイゴンという街は、人を生活の中に閉じ込めてこういう考えを持つスキを与えない街だな、とも思う。